《旅の報告》
9日に中津の写真をいっぱい持って母宅へ出かけた。
中津駅前
福沢諭吉記念館
母は私が中津を訪ねたことをとても喜んでくれた。
母へのお土産は福沢諭吉・小幡篤次郎著「学問のススメ」、23ページもあるその本を、母は全文を読んでみたいと張り切っている。
天ハ人の上に人を造らず人の下に人を造らずと居へりさすれバ天より人を生するにハ萬人ハ萬人皆同じ位にして生ずるから貴賤上下の差別なく・・・・・
その夜、母が娘時代の思い出を語ってくれた。
ツルおばあさんのお母さんの名前はチヨ、彼女は中津城に上がっていたことを誇りにし、小さな体ながらとても威厳のある人だったという。母は十代のころに何度もチヨさんを訪ねたそうで「智恵子、智恵子」と呼ぶ声が今も耳に残っているという。チヨさんは屯田兵として東旭川にきた息子・篤次郎さんに付き従っての来道だった。温暖な大分・中津から北国への移住、さぞかし望郷の念にかられたことだろう。
ツルおばあさんはその後、同じく屯田兵で京都から来ていた榮太郎さんと結婚し、保さんの母となった。保さんは母の父親で私の祖父にあたる。
私はツルおばあさんに可愛がられた。彼女は毎朝仏壇の前でお経とご詠歌を唱えていた。その寂しげな声が今も記憶に残っている。
母は翌日、父の墓参りに行きたいという。二人でお墓を掃除してから、父に中津へ行ってきたことを報告した。生前父も母を中津へ連れて行ったやりたいと言っていたという。なるべく早く、私はツルさんと保さん一族が眠る白老のお墓へ報告に行かなければと思っている。
五百羅漢のお寺で母へのみやげにとお守りを求めた。母はそのお守りに中風除けと呆け防止に効くと書いてあるので、元気にしていられると早速身につけた。ツルおばあさんは95歳まで長生きをした。母はツルおばあさんを目標に頑張ると言っている。
羅漢寺