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書道の聖地・蘭亭を訪ねて

室蘭民報紙上にふくろう文庫の旅・蘭亭観光の文章が2週連続で掲載されました。

《書道の聖地・蘭亭を訪ねて (上)》
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【碑に破壊の痕跡生々しく】

 9月25日から3泊4日の日程で、ふくろう文庫を支えるふくろうの会が企画した「魯迅訪問の旅」に参加した。参加メンバーは「ふくろう文庫ワンコイン美術講座」を受講しているクラスメートのなかの20名だ。旅の目的は、魯迅の足跡に触れるため「上海魯迅記念館」と、魯迅の生まれ故郷にある「紹興魯迅記念館」を訪れることにあった。しかし、私は紹興の近郊にある書道の聖地・蘭亭にも足を踏み入れたいと思っていた。
 さて過日、ふくろう文庫代表の山下敏明さんに、夫の十三回忌の記念となる書物を寄贈したいと申し出たところ、山下さんは台北故宮博物院蔵の至宝「王羲之(おうぎし)・快雪時晴帖」と「顔眞卿(がんしんけい)・祭姪文稿」の完全復刻版二点を選び、ふくろう文庫に収蔵してくださった。収蔵して間もなく、山下さんから「公開前にぜひ見に来てください」、という連絡をいただき興味津々で図書館に向かった。
 山下さんのお話で博物院蔵の書や絵画の作品は劣化や盗難の恐れがあるため滅多に本物を公開することはなく、墨も顔料も布も紙も双鉤填墨等さまざまな手法によって本物そっくりの複製品を展示していることを私は知った。表紙の豪華さに加え、皇帝の署名と賛美の言葉、鑑賞印の朱の色や虫食いの痕に至るまで忠実に再現された精緻なもので、日頃私が手習いしている法帖と比べてみるとその差はあまりにも歴然としていて、私は目の前に置かれた王羲之と顔眞卿の書に釘付けになった。
 紹興の13キロ郊外に王羲之ゆかりの蘭亭がある。書道を始めて25年の私は、紹興魯迅記念館見学の後、書道の聖地といわれる蘭亭を訪れたいと希望したが、上海へ帰る電車の時刻に間に合わなくなるので、蘭亭訪問は無理と言われて諦めざるを得なかった。ところが旅行日の間近になって、紹興から上海に戻る特急列車がダイヤ改正により2時間半も遅くなったので、「蘭亭に行けるかもしれない」という連絡をふくろうの会事務局の田村博文さんからいただいた。「念ずれば通ず」と、ご一緒する方々の迷惑を顧みず、書道の聖地・蘭亭に降り立つことが出来るとの期待感でいっぱいになった。
 旅行当日、雨の紹興市を出発し、蘭亭に到着したとき雨は上がっていた。竹をあしらった門をくぐり竹林の中の小路を歩いていると、何となく日本の神社仏閣を連想し心が和んだ。
 王羲之が鵞鳥 (がちょう)を愛でたという池の傍らに、父の王羲之が“鵞”を、息子の王献之が“池”の一文字ずつを書いた父子碑とも呼ばれる鵞池碑亭が建っていた。その鵞池を越えると康煕帝御筆の大きな蘭亭碑があった。この碑は文化大革命で痛めつけられ破壊され、後に再建されたが、碑にはその当時の破壊の痕跡が生々しく残っている。
 蘭亭の中心部には 蘭亭序の臨本・模本や曲水の宴の絵などを展示している「流觴亭(りゅうしょうてい)」がある。流觴亭の前面に緩やかに蛇行する曲水の流れがあった。ここで古の貴族や高級官僚、文人たちが詩を詠み、觴(古代の杯)を上げて酒を酌み交わし、時には政治的な腹の探り合いまでもしながら、雅な刻を過ごしたのだろう。わざと詩作に失敗したふりをして大きな觴を傾けながら、してやったりの人がいたかもしれない、と俗人の私は想像してしまう。
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《書道の聖地・蘭亭を訪ねて (下)》
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【28行324字 書の最高傑作】
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 永和九年(356年)三月三日、王羲之が蘭亭に41人の名士を招待して「流觴曲水の宴」を催した。曲水の宴で三十七首の詩が読まれ、その詩集の序文の草稿を王羲之が蚕の繭で作った紙にネズミの毛で作られた筆で “永和九年歳在癸丑暮春之初會于會稽山陰之蘭亭・・・” と書いた。書の最高傑作といわれる行書28行、324文字の「蘭亭序」で 、“之”という文字は文中に20回出てくるが、文脈に応じてすべて違う形で書いてある。「古人は書を論じるとき章法(行間の茂密)を一大事とす。蘭亭序の章法は自在ながら法にかなった古今第一の書、その字はみな映帯(うつりあう)して生じ、あるいは小さくあるいは大きく手のゆくままに随って、みな法則にかなっている」との著述を読んだ。
 高さ12.5メートルの八角形東屋・御筆亭の中には高さ6.8メートル、幅6.8メートル、重さ1.8トンの中国最大の古碑「蘭亭御碑」がある。その碑の前面には康煕帝御筆の蘭亭序全文が、背面にはその孫にあたる乾隆帝が蘭亭を訪れたときに詠んだ「蘭亭即事」の御筆がある。ひとつの碑に二人の皇帝の御筆が彫られているものは中国で唯一のもので、その大きさ故に文化大革命の嵐が吹き荒れたときも破壊を免れ、今では国の宝として大切に保存されている。
 紙が貴重品の時代の書家・王羲之は、水を含ませた筆で石版に文字を書いて修業をした。 息子の王献之もまた父のような書家を志していた。その息子に王羲之は「水瓶八杯を使い切るまで修業しなさい」と諭した。ある日、水瓶三杯を使い切った王献之が自信ありげに紙に書いた「大」という字を父に差し出した。すると父は黙って点をいれて、「太」にした。それを母に見せると、母に「点だけが上手に書けていますね」と言われた王献之は、修業の大切さを悟り精進に精進を重ねて、父・王羲之と並び称される能書家になったという。今でも蘭亭の広場には、水瓶と,筆、石版がいくつも置いてあり、そこを訪れた人々は石版に文字を書いて王羲之の修業を体験できるようになっている。山下さんも石版に「梟」の文字を書いた。書き上げた山下さんの満足そうな笑顔が爽やかだった。
 唐の太宗皇帝は王羲之の書を酷愛し、蘭亭序など王羲之の全ての書を遺言で昭陵墓に副葬させたため真筆は残っていない。現存する蘭亭序は太宗が在世中に能書の臣下に臨本や模本をさせたものを基に作られた拓本だといわれている。その中の神龍半印本の拓本を書道の師への土産にしようと、私は拙い中国語で値段交渉をした。そのひと時がとても楽しかった。
 上海と紹興の魯迅記念館で見聞を広め、美味しい料理を味わい、上海の名所旧跡を巡った。最終日の夜は、映画「上海バンスキング」の舞台となったオールドジャズバーで、私たち旅の仲間と外国人客が一緒になって踊りの輪を作った。その表情はみな生き生きと楽しげで印象深かった。
 ふくろう文庫の旅に誘ない、労を惜しまず蘭亭訪問の実現のために奔走された山下さんと田村さんに感謝感謝。同行の皆様が私の我儘を許してくださったから実現できた蘭亭訪問、旅の仲間の皆様にも感謝感謝。今回の旅は私の心の宝となりました。 
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by tianzao | 2011-11-27 15:46 | ふくろう文庫


魯迅・藤野先生の本来のタイトルは何か?

《帰国の機内で見た中国の新聞に出ていた藤野先生》
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【翻訳は中国語老師をしている留学生の廬波さんにお願いしました】

魯迅の「藤野先生」において塗り消された本来のタイトルは何か?
             ――日本学者佐藤明久 が謎を解いた

 “この藤野先生は、服の着方が無頓着である。時にはネクタイすら忘れることがある。冬は古外套一枚で顫えている……”魯迅の短編小説「藤野先生」は約半世紀以上よく知られているとても有名な作品である。しかし、この作品のタイトルは変更されたことがあったのはたくさんの方が知りませんでした。約10年の研究調査は粘り強く続けて来て、日本の学者佐藤明久さんがこの謎を解明した。「藤野先生」の原名は「吾師藤野先生」であったことがわかった。最近、上海の魯迅記念館にて開催された「魯迅と現代中国文化国際会議」の中で、佐藤明久さんは初めてこの長い研究過程を述べた。
 2002年、佐藤明久さんは上海の魯迅記念館に訪問した時、初めて魯迅の「藤野先生」の原稿のコピーを読んだ。この原稿の紙には赤い線が引いてあり、黒い墨で魯迅の文字が書かれていた。佐藤明久さんは原稿のタイトルの最初の幾つかの文字が塗り潰され、「先生」の二つの文字が残っており、右側の新しい一行に「藤野」が書かれていることに気付いた。日中両国の教科書に「藤野先生」が収録されており、佐藤明久さんは両国の教育者に「藤野先生」のタイトルが変更されたことがあったことを知っているか聞きました。その時の皆は知りませんでした。朱正の本「魯迅自筆原稿管見」の中に魯迅の作品の中で、「藤野先生」この作品だけタイトルが変更されたことがあるということが記録されていた。佐藤明久さんはこのことについて強く興味を持ち、この謎を解明するための研究を始めた。そこで、上海魯迅記念館の館長王錫栄さんはこのことを知って、「藤野先生」の原稿の複製品を佐藤明久さんに寄贈した。
 佐藤明久さんは最初筆跡の大きさと間隔を詳細な測量の後に発見した、タイトルの中の「藤野先生」の四文字、それぞれの文字の大きさはおよそ0.8mm、塗り消された部分はおよそ3.6mmそれぞれの文字の間隔はおよそ0.2mm、このことから推測すると、魯迅が塗り消した部分は4文字であったと考えられます。次に文字を識別に関して。原稿の複製品からみると、消された部分の後ろの部分をみると「藤野」の2文字がならんでいることが見てわかる。しかし、前の二文字が分からない。ここで、その部分は左上の部分が少し飛び出ている点があることに気付いた。これは、おそらく何かの文字の左から右へ横線であると考えられる。そして、原稿からこのような文字について調べると、そこから推測される文字は、青、我、老、尊、七、千、有、などである。
 2008年9月26日、何人かの中国の専門家の協力により、佐藤明久さんは北京の国家図書館に魯迅の「藤野先生」の自筆原稿を見ることができた。彼は、原稿に対して緊張と興奮の気持ちで顔や手から汗が出たと言った。今回原稿を間近に観察すると、塗りつぶされた2番目の文字は「師」と判断できた。一文字目は「我」「尊」「老」「吾」の4つの文字のどれかであると推測された。しかし、人間の目ではそれ以上判断できず、最終的な判断はできなかった。
 2010年12月佐藤明久さんはもう一度中国国家図書館に行った。今回画像技術者の協力を得て、カメラのシャッター、絞り、ライト、等を駆使することで、残った最後の一文字は「吾」であったと判断できた。
 「藤野先生」の本来のタイトルは「吾師藤野先生」であったことが分かった。その時その場にいた人々は彼に拍手を贈り賞賛した。本来は静かな閲覧室に一時の喜びと笑いの声が響いた。
 最初、佐藤明久さんは塗り消された部分の文字の調査だけだったが、意外にも、魯迅が原稿を直す癖の1つを発見した。それは、まず直す予定の文字を四角の枠線で囲いその中を点で塗りつぶす。このようなものである。特に、「吾師」この二文字において顕著であった。
 「藤野先生」の本来のタイトルの謎は解けたと共に、新しい疑問が浮かんだ。なぜ魯迅が作品を書いた当時、「藤野先生」というタイトルに書き換えたのだろうか。何か特別な理由が隠されているのだろうか。佐藤明久さんはこれらを今後の課題として研究を続ける予定である。
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by tianzao | 2011-10-10 23:12 | ふくろう文庫


ふくろう文庫・ワンコイン美術講座上海・紹興の旅

《魯迅訪問の旅》
8月25日から28日まで中国の上海と紹興に行ってきました。
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私は今留学生に中国語を教わっています。私のレベルはかなり低いのですが、お蔭さまで中国に行ったときには買い物を楽しめるようになりました。
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日本室兰市立图书馆的“枭文库(日本发音:FUKUROU BUNKO)”旅行团一行20个人访问绍兴鲁迅纪念馆和上海鲁迅纪念馆。我们每隔1个月一次选修美术讲座。那讲座的讲师是枭文库的代表山下敏明先生。5月28日我们学习对于的鲁迅小说和版画。
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藤野先生原文

【中文教科书“新世纪的中国”】
“鲁迅与藤野先生”

中国的大文豪鲁迅(1881~1936年),原名周树人。鲁迅是他的笔名。1902年,鲁迅22岁的时候,被派往日本留学。他先在为中国留学生开办的弘文学院,补习日语和普通科知识。毕业时,因厌恶一味吃喝玩乐的清国留学生,只身离开东京去了仙台医学专门学校。那时鲁迅想学医,将来为病人解除疾苦。就是在这里他结识了藤野先生。
这位治学严谨不修边幅的藤野严九郎先生非常关心鲁迅的学习,在他授课期间,让鲁迅每周把听课笔记送给他看,亲自用红笔添改脱漏的底反复,连文法的错误,也都一一订正。 然‘而在仙台学习期间,鲁迅的思想有了变化。他认识到:对于愚弱的国民来说,医学并非一件要紧的事,更为重要的是唤起他们的觉醒。于是他毅然弃医从文,走上了文学救国的道路。并成为中国文坛的一颗巨星。
回国以后,鲁迅一直没有忘记这位日本老师。1926年,他写了一篇题为《藤野先生》的散文。其中有这样一段:“在我所认为我师的之中,他是最使我感激,给我鼓励的一个。... ...他的性格,在我的眼里和心里是伟大的,虽然他的姓名并不为许多人所知道”。
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by tianzao | 2011-10-10 22:43 | ふくろう文庫


上海最後の夜は和平ホテルでオールドジャズバンド鑑賞

上海の夜はオールドジャズバンドがお勧め。
《和平ホテル(和平飯店)》
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【平均年齢75歳以上のオールドジャズバンド】
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若かりし頃耳にした名曲の数々、年齢を感じさせないジャズメンたち。そして故郷、夜来香、慕情・・・。
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心地よい調べに合わせステップを踏む山下先生。
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先生に誘われて旅のお仲間たちもダンスに興じ、その輪に来場中のお客さん達も加わって、楽しく賑やかに。
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最高に盛り上がり、みんな満足満足。
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by tianzao | 2011-10-09 22:02 | ふくろう文庫


豫園と外灘

《豫園》
中国庭園に欠かせない太古石、豫園には玉玲瓏という名の石がある。
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皇帝以外は龍を使うことが許されていなかった時代に、この庭園には龍がいないと言い張ったので、現存できたそうです。どう見ても龍?
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《外灘》
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by tianzao | 2011-10-09 16:59 | ふくろう文庫


永和9年(353)年3月に 王羲之が曲水の宴を催した蘭亭

《会稽郡山陰県蘭亭》
王羲之は蘭亭に41人の名士を招き、王羲之を含め42人が禊ぎの礼を行って、詩会「曲水の宴」を催した。

【蘭亭の序】
王羲之は酒興に乗じて、この詩会でなった詩集の序文を揮毫した。これが世に名高い蘭亭の序である。王羲之は酒が醒めてから何度も蘭亭序を書き直したが、これ以上の作は出来ず、王羲之自身がこの作を一生の名作として子孫に伝えた。



.【曲水の宴(流觴)】
曲水の畔に陣取り、上流から流れてくる杯が自分の前で止まったら即興で歌を詠み、その酒を飲んで再び酒を注いで次に流す。詩が出来上がらなければ罰として大きな杯の酒を飲まなければならない。この日、詩を作れなかった16人は大きな杯で3杯の酒を飲まされた。

参考:富田淳著・王羲之傑作の残景

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by tianzao | 2011-10-06 15:21 | ふくろう文庫


紹興魯迅記念館訪問と紹興酒工場見学

《ふくろう文庫の中国旅行》
【上海ホテル出発】
バスで駅に向かう
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【上海虹橋駅】
新幹線の車両が停車中
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【列車の切符】
片道65元
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一路紹興へ
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【紹興駅到着】
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by tianzao | 2011-10-05 13:35 |

    

はなこよみ
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by shinba at 08:37
长寿百岁,健康快乐。
by 李占涛 at 22:12
长寿百岁,健康快乐。
by 李占涛 at 22:12
谢谢!!
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